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関西棋院棋士が、関西棋院の往年の名局を解説します。

関西棋院棋士が、関西棋院の長い歴史の中で打たれてきた名局の中から関山利一九段、半田道玄九段、橋本宇太郎九段、橋本昌二九段の往年の名局を各4譜、棋譜再現をもとに解説します。音声付きの解説に解説棋士が対局の背景を興味深く紹介。解説棋士の想いのこもった解説で当時の熱気がそのまま蘇るかのような雰囲気をどうぞ味わってください。 続きを読む

関西棋院協力企画 関西棋院棋士が、関西棋院の往年の名局を解説 温故知新シリーズ

関西棋院の長い歴史の中で打たれてきた名局の数々…。関西棋院棋士が、関山利一九段、半田道玄九段、橋本宇太郎九段、橋本昌二九段の往年の名局を各4譜、棋譜再現をもとに解説します。その時々の魅力ある背景なども交え、当時の熱気がそのまま蘇るかのような雰囲気をどうぞ味わってください。

解説棋士のご紹介

橋本昌二 プロフィール

棋士名
橋本昌二 九段
生年月日
昭和10年4月18日
師匠
橋本国三郎七段
出身
兵庫県
通算成績
1037勝 631敗 1ジゴ(平成21年12月4日現在)
※入段~昭和43年まで一部成績漏れ有
絶局
平成21年11月11日 第36期名人戦予選B(今井一宏六段戦)
昇段履歴
昭和22年5月入段、同23年10月二段、同24年10月三段、同25年10月四段、同27年4月五段、同28年5月六段、同29年10月七段、同31年6月八段、同33年12月九段
主な戦歴
第7期(1959年 昭和34年)、第29期(1981年 昭和56年)王座、第12期(1974年 昭和49年)十段、第14回(1967年 昭和42年)、第27回(1980年 昭和55年)、第32回(1985年昭和60年)NHK杯テレビ囲碁トーナメント戦優勝、第7期(1975年 昭和50年)早碁選手権戦優勝、棋聖戦第4期(1980年 昭和55年)全段戦優勝
名人戦リーグ在籍10期、本因坊戦リーグ在籍6期
関西棋院第一位決定戦優勝12回(名誉第一位)
関西棋院選手権戦優勝3回
関西棋院最優秀棋士賞5回
関西棋院利仙賞1回

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関山利一 プロフィール

  • 1909年(明治42年) 12月23日生まれ、兵庫県尼崎市出身。
    1915年(大正4年) 父、盛利四段に碁の手ほどきを受ける(5歳)
    1922年(大正11年) 十六世井上因碩に八子より三子まで指導を受ける。
    1924年(大正13年) 上京し鈴木為次郎八段の門に入る(14歳) 
    1926年(大正15年) 入段(16歳)
    1927年(昭和2年) 二段(17歳)
    1928年(昭和3年) 三段 乙組前期・後期優勝。
    1929年(昭和4年) 乙組四段
    1930年(昭和5年) 甲組四段
    1931年(昭和6年) 後期大手合三等。
    1932年(昭和7年) 前期大手合二等。
    1934年(昭和9年) 五段(24歳) 前期、後期大手合優勝。
    1937年(昭和12年) 前期大手合二等(27歳)
    1938年(昭和13年) 前期、後期大手合優勝。
    1939年(昭和14年) 六段(29歳)本因坊の予選始まる。
    1941年(昭和16年) 第一期本因坊に就位。本因坊利仙と号す(31歳)後期大手合二等
    1942年(昭和17年) 七段(32歳)後期大手合二等
    1943年(昭和18年) 第二期本因坊戦。二局半ばにして倒れ棄権。後期大手合優勝。
    1952年(昭和27年) 全本因坊全八段戦で岩本薫八段と対局。これが最後の対局となる。
  • 大手合優勝7回は史上最多。
    関山利夫九段は実子。
    橋本昌二九段は娘婿、妻(宣子)は長女。
    倉橋正蔵八段は娘婿、妻(洋子)は次女。
    関山利道九段、倉橋正行九段は孫。
    三代続いて九段は史上初。
    門下生に梶原武雄九段、小山靖男九段、白石裕九段。

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半田道玄 プロフィール

  • 1915年(大正4) 10月25日、広島県向島に生まれる。四歳のとき、家族と共に因島に移る。
    1922年(大正11) 広島県三庄村村立三庄尋常小学校にはいる。この頃碁をおぼえる。
    1924年(大正13) 鈴木為次郎六段(のち名誉九段)に入門、東京へ出るが一月たらずで帰る。九歳。
    1926年(大正15) 十一歳。このころ再度上京するが、一、二年で帰されたらしい。
    1930年(昭和5) 大阪市港区八幡町に移る。久保松勝喜代六段(のち追贈八段)一門の研究会に参加するなど碁界に復帰。十五歳。
    1934年(昭和9) 10月入段。十九歳。以後36年8月ニ段、7年10月三段、38年8月四段、42年8月五段と順当に昇段する。
    1947年(昭和22) 肺結核で岡山早島の療養所にはいる。片肺を切除。三十二歳。
    1951年(昭和26) 独立した関西棋院に参加。其の前、1949年に六段を贈られる。早巳を道玄と改名。
    1954年(昭和29) 関西棋院春季大手合六局全勝で優勝。10月、七段。三十九歳。
    1956年(昭和31) 再三期関西棋院早碁名人の挑戦者になり、窪内秀知八段との三番勝負を一対一で勝つ。関西棋院選手権戦優勝。10月、八段。四十一歳。
    1957年(昭和32) 第五期王座戦決勝三番勝負に進出、島村利博八段に0対2で敗れる。第四期関西棋院早碁名人戦は挑戦者鯛中新七段に1対2で敗れる。関西棋院第一位決定戦で準優勝。四十二歳。
    1958年(昭和33) 第六期王座戦決勝三番勝負に進出、藤沢朋斎九段に0対2で敗れる。四十三歳。関西棋院第一位決定戦優勝。
    1959年(昭和34) 4月、九段。四十四歳。
    1960年(昭和35) 第八期王座戦決勝三番勝負に進出、宮下秀洋九段を2対0で破り優勝。関西棋院第一位決定戦優勝。関西棋院選手権戦準優勝。四十五歳。
    1961年(昭和36) 関西棋院第一位決定戦優勝。名人戦、十段戦が創設され、リーグ戦、本戦に出場。
    1962年(昭和37) 第十七期本因坊戦リーグ戦で優勝、坂田栄寿本因坊名人に勝ち、橋本宇太郎十段との再度の五番勝負に3対1で勝ち、十段位獲得。関西棋院十強戦第二位。四十八歳。
    1963年(昭和38) 第十七期本因坊戦リーグ戦で優勝、坂田栄寿本因坊との七番勝負は1対4で敗れる。第一期十段戦、敗者復活システムの本戦で四連勝、五勝一敗の橋本宇太郎九段と決定五番勝負を争うが、1対3で敗れる。第一期名人戦リーグ戦は第三位。四十七歳。
    1964年(昭和39) 第ニ期十段戦挑戦者決定戦で坂田栄寿本因坊名人に勝ち、橋本宇太郎十段との再度の五番勝負に3対1で勝ち、十段獲得。関西棋院十強戦第二位。四十八歳。
    1965年(昭和40) 第十三期王座戦決勝三番勝負で大窪一玄八段に2対0で勝ち、二度目の王座獲得。第三期プロ十傑戦第八位。関西棋院十強戦優勝。五十歳。
    1966年(昭和41) 第五期十段戦挑戦者決定戦で坂田栄寿本因坊に敗れる。関西棋院選手権戦準優勝。
    1967年(昭和42) 第五期プロ十傑戦第十位。翌68年、関西棋院九段リーグ戦第二位。69年、関西棋院第一位決定戦準優勝。
    1971年(昭和46) 第九期プロ十傑戦第六位。翌72年、第十期十段戦、敗者組決勝で林海峯名人に敗れる。
    1974年(昭和49) 4月13日、永眠。享年五十九歳。

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橋本宇太郎 プロフィール

  • 1907年(明治40年) 2月27日生まれ、大阪市出身。
    1915年(大正4年) 8歳 小学校通学の途中、碁席をのぞいているうちに碁を覚える。
    1917年(大正6年) 10歳 久保松勝喜代四段の門下に入る。
    1920年(大正9年) 13歳 上京。瀬越憲作五段の門下に入る。
    1922年(大正11年) 15歳 方円社より初段を許される。野沢竹朝五段がお祝いの碁を打ってくれる。
    1923年(大正12年) 16歳 二段。
    1924年(大正13年) 17歳 東京日日新聞にて八人抜き。
    1925年(大正14年) 18歳 三段。
    1927年(昭和2年) 20歳 日本棋院秋季大手合に優勝第三等。
    1928年(昭和3年) 21歳 夏、中国を巡遊。北京にて呉清と試験碁を打つ。「棋道」主催高段者対青年勝継戦で十二人抜き。
    1929年(昭和4年) 22歳 秋季大手合に優勝第一等。
    1931年(昭和6年) 24歳 春季大手合に優勝第二等。
    1933年(昭和8年) 26歳 五段。
    1934年(昭和9年) 27歳 春季大手合に優勝第三等。
    1935年(昭和10年) 28歳 時事新報にて十三人抜き。春季大手合、秋季大手合にてそれぞれ優勝第三等。
    1936年(昭和11年) 29歳 七月、六段。春季大手合優勝第三等。朝日新聞主催大手合優勝者決戦トーナメントにおいて、春秋二季に優勝。
    1937年(昭和12年) 30歳 春季大手合優勝第三等。
    1938年(昭和13年) 31歳 春季大手合優勝第三等。
    1939年(昭和14年) 32歳 朝日新聞主催十三年秋季大手合優勝者決戦トーナメントに優勝。秋季大手合優勝第一等。
    1940年(昭和15年) 33歳 七段。
    1943年(昭和18年) 36歳 第二期本因坊戦において、加藤信、木谷実両八段を破って関山利仙本因坊に挑戦。第二局の途中、関山本因坊が病に倒れ棄権。本因坊に就位、昭宇と号す。十月、毎日新聞主催にて藤沢庫之助七段と二番碁を打つ。年末、中部日本新聞他二社主催にて呉清八段と三番碁を打つ。
    1945年(昭和20年) 38歳 本因坊戦にて岩本薫七段の挑戦を受け、三勝三敗。第二局が所謂原爆下の対局。
    1946年(昭和21年) 39歳 春季大手合に全勝、八段に。八月、本因坊戦にて岩本薫七段と決勝三番碁に敗れる。呉八段との第一次十番碁始まる。
    1947年(昭和22年) 40歳 呉清八段との十番碁二勝六敗で先相先に打ち込まれる。その後、一勝一持碁。
    1950年(昭和25年) 43歳 第五期本因坊戦挑戦者となり、岩本薫和本因坊に四連勝して本因坊を奪回。七月〜八月より毎日新聞主催、呉清九段との三番碁。八月より読売新聞主催、呉清九段との第二次十番碁始まる。
    1951年(昭和26年) 44歳 本因坊戦挑戦手合で坂田栄男七段と七番勝負。四勝三敗で破る。呉九段との第二次十番碁終わる。三勝五敗二持碁。
    1952年(昭和27年) 45歳 本因坊戦にて高川格七段の挑戦を受け、一勝四敗で本因坊位を退く。日本経済新聞主催、全本因坊・全八段戦にて雁金準一八段と対局。
    1953年(昭和28年) 46歳 第一期王座戦にて前田陳爾七段を破って優勝。王座特別戦として呉九段と三番碁。
    1954年(昭和29年) 47歳 一月、九段。藤沢庫之助九段との十番碁始まる。
    1955年(昭和30年) 48歳 藤沢庫之助九段との十番碁終わる。第六局にて先相先に打ち込む。第三期王座戦にて島村俊廣八段を破って優勝。兵庫県文化賞を受く。
    1956年(昭和31年) 49歳 第三回NHK杯争奪戦にて優勝。第四期王座戦にて坂田栄男九段を破って優勝。
    1962年(昭和37年) 55歳 第一期十段戦決勝五番勝負にて半田道玄九段を破り十段位獲得。
    1963年(昭和38年) 56歳 第十回NHK杯争奪トーナメント(テレビ第一回)で優勝。
    1970年(昭和45年) 63歳 東京12チャンネル主催、早碁選手権で優勝。 第七期プロ十傑戦決勝戦で加藤正夫六段に三連勝して優勝。
    1971年(昭和46年) 64歳 第九期十段戦で大竹英雄十段に挑戦、三勝二敗で十段位獲得。
    1973年(昭和48年) 66歳 第十期プロ十傑戦で林海峯九段と決勝五番勝負、一勝三敗。関西棋院選手権戦で関山利夫九段の挑戦を受けこれを退ける。大阪文化章を受く。
    1977年(昭和52年) 70歳 第一期棋聖戦にて藤沢秀行九段と決勝七番勝負。一勝四敗。勳三等旭日中綬章を受く。
    1981年(昭和56年) 74歳 日本棋院より大倉賞を受賞。
    1983年(昭和57年) 75歳 第三十七期本因坊戦リーグに加わり二勝五敗。最後のリーグ入り。
    1983年(昭和58年) 76歳 神戸市文化章を受く。
    1994年(平成6年) 87歳 没
  • タイトル
    • ・本因坊3期
    • ・十段2期
    • ・王座3期
    • ・NHK杯優勝2回
    • ・プロ十傑1期
    • ・早碁選手権1回(計12)
    • ・本因坊リーグ 通算22期
    • ・名人リーグ(旧)通算3期
    • ・名人リーグ(新)通算5期

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宮本直毅 プロフィール

棋士名
宮本直毅 九段
生年月日
昭和9年12月9日
師匠
橋本宇太郎九段
出身
兵庫県
昇段履歴
昭和25年秋入段、昭和44年9月九段
主な戦歴
第3期関西棋院第一位決定戦優勝
昭和42年関西棋院選手権優勝
名人戦リーグ在籍2期
本因坊戦リーグ在籍2期
山野賞1回
平成3年テレビ囲碁番組制作者会賞受賞
平成24年特別功労賞
平成24年10月死去

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内容のご紹介

音声付きの解説だから見ごたえ充分です!


  • 解説棋士が対局の背景を興味深く紹介。

  • 対局者のプロフィールも楽しめる。

  • 対局の要所要所で、解説棋士の想いのこもった解説を堪能。

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